投稿者が超絶に独断と偏見で読む 成田悠輔氏著「22世紀の民主主義」

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というわけで今回は、独断と偏見で成田氏著「22世紀の民主主義」を皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。
圧倒的な引用数と知識量、そして次々と展開して行く文章。
一記事で全てをお伝えするのは難しいので投稿者が面白そうだなと思った箇所をピックアップ。
それでは参りましょう。

今回の主役 成田悠輔氏とは

日本の研究者、起業家、論客。イェール大学助教。半熟仮想株式会社代表取締役。専門はデータ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと、公共政策の想像とデザイン。
東大経済学部を主席で卒業し、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了、マサチューセッツ工科大学(MIT)Ph.D.取得。
低学歴の投稿者が記事にするのも烏滸がましい気もするが構わず続けていきたい。
本著は近年、民主主義が劣化しており、その原因や改善案を成田氏が調査、提案している。

若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない

全有権者に占める30歳未満の有権者の割合は13.1%そして21年の衆議院選挙における30歳未満の割合にいたっては8.6%しかない。
今の日本の政治や社会は、若者の政治参加や選挙に行くといった生ぬるい行動で変わるような、そんな甘っちょろい状況にない。
数十年びくともしない慢性の停滞と危機に陥っており、それをひっくり返すのは
錆び付いて沈みゆく昭和の豪華客船を水中から引き揚げるような大事業だ。

今ある選挙や政治というゲームにどう参加してどうプレイするか?
だがそう考えた時点で負けが決まっている。
「若者よ選挙に行こう」といった広告キャンペーンに巻き込まれている時点で
老人達の手のひらの上でファイティングポーズを取らされているだけだ、
ということに気づかなければならない。
「#投票に行こう」とSNSに投稿したところで、今の選挙の仕組みで
若者が超マイノリティである以上、結果は変わらない。
ただの心のガス抜きだ。

22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる

全文抜粋は長いので違和感の無いように投稿者が一部抜粋している。
要約すると国内において若者は超超マイノリティで投票率が上がったとしても
超マイノリティになるだけで焼け石に水状態であると成田氏は考えている。
投稿者も同意見であり自民党が勝とうが、民主党が勝とうが政策も必然的に
金も力も数もある高齢者に擦り寄る事になる。

相手に有利なルールで勝とうとするのは至難の業、ましてはマジョリティではない、マイノリティの若者に勝ち目はないだろう。

民主主義との闘争(とうそう)を諦め、逃走(とうそう)してしまおう

本文では民主主義との闘争(とうそう)を諦め、逃走(とうそう)してしまおうという案が打ち出されている、それが下記だ。

民主主義を内側から変えようとするのではなく、民主主義を見捨てて外部へと逃げ出してしまうのだ。「反民主主義」や「迂回民主主義」と言ってもいいかもしれない。
タックス・ヘイブンがあるように政治的「デモクラシー・ヘイブン」もありえるのではないか?
非効率や不合理を押し付けてくる既存の民主国家を諦める世界。
政治制度を一からデザインし直す独立国家・都市群が、より良い政治・行政サービスを提供すべく、企業や「国民」を誘致したり選抜したりする世界。
どの国も支配していない公海の特性を逆手によって、公海をただよう新国家群を作ろうという企てがある。「海上自治都市協会」と呼ばれる新国家設立運動だ。


「独立国家のレシピ1:ゼロから作る」
幻の独立国家「ローズ島」だ。ローズ島は約20メートル四方の金属製の人工小島で夢見がちな技師と同志の数人のチームがイタリアの沖合ギリギリ公海になったあたりに作り上げたが、
ローズ島はイタリア海軍により爆破され、建設わずか半年あまりで消滅した。
ローズ島のような海上微小国家として1967年にイギリスの沖合に出現したシーランド公国もある。既存国家に爆破されたローズ島と対照的に今でも現存して海上に浮かぶ。


「独立国家のレシピ2:すでにあるものを乗っ取る」
ゼロから作るのではなく、既にある国家や自治体を再利用する手もある。
フランス革命も地方議会の奪取から始まったことで有名だ。
現代でも、どこかの自治体に大量移住して住民のを握ればその自治体の選挙を支配できる。
千代田区の区長選ですら最新の当選者の得票数は9,534である。
1万人を移住させられれば首都の重要区の区長選ですらジャックできる。

22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる

投稿者が重要だと考えている点を抜粋している。
さすがイェール大学助教授、引用する文献の数が他の書籍に比べて圧倒的に多い
今回は、成田氏のレシピについて考える

「独立国家のレシピ1:ゼロから作る」

上記の実現はかなり難しいと考えている。
なぜなら数人であればローズ島やシーランド公国で事足りるだろう。
しかし、何万人、何百万人、何千万人規模になると領土が足りない。
宇宙、海底、メタバースにも言及していたが、現在、20代後半の投稿者が生存している間に
宇宙で何百万人、何千万人が住めるような環境になっているとは正直なところ考えにくいし、
衣食住が保証されていなければ、移住しようと考える人は少なくなるだろうと予測される。
何よりも宇宙空間や海底の環境が人間に適していない。
だがしかし、飛躍的な技術の発展があり、衣食住が確実に保証されるのであれば、非現実的な机上の空論では無いだろう。

「独立国家のレシピ2:すでにあるものを乗っ取る」

超マイノリティの日本の若者が徒党を組んで自治体を乗っ取るという行動を起こすことは極めて低い。
若者が争いを好まなくなっている傾向にある。

HR総合調査研究所は2012年7月9日~19日に人事担当者に対し、「新入社員教育」についての調査を行った。回答を得たのはメーカー138社、非メー カー191社の合計329社だ。
先行世代と有意な資質の違いがあるとされることが多い「ゆとり世代」だが、企業の人事担当者はどう感じているのであろうか。
最も多かった回答は、「受身的である」(59%)、次いで「まじめである」(58%)で、6割近い人事が共通する特徴であると考えている。自分から何かをすることは少ないが、出された課題はそつなくこなす。
次いで多いのは、「精神的に弱い」(37%)、「他者との争いを好まない」(34%)、「失敗を恐れる」(31%)、「すぐ答えを求める」(30%)だ。「失敗を恐れる」からこそ、自分でチャレンジをするのではなく、マニュアル(答え)を「すぐに求める」

ゆとり世代は受け身的でまじめ、その対処法は?

データが古くあまり信憑性はないが、Z世代にも当てはまると考えている。
受動的でまじめで他者との争いを好まない世代かつ超マイノリティである日本の若者が徒党を組んで
自治体を乗っ取るとは考えにくい、それができるのであれば、日本はこの様な現状にはなっていない筈だ。
ではただ指を咥えて見ていればいいのか?と読者の皆様は思うでしょう。

そこで投稿者が考えた案はこうだ
れいわ新選組やNHK党に投票し、議席を増やして日本を混沌化させて行く
更に増税を行い、新たな税金も追加(独身税とか生存税)、現状の円安を維持して物価を上昇させ、
当然、給与や賃金は据え置きにしておく。
国民のクビが回らなくなるまで進め、百姓(国民)に一揆(暴力革命)を起こさせる。
上記の考えが理にかなっていると思ったきっかけが安倍晋三暗殺事件だ。
山上徹也が安倍晋三を暗殺した途端に統一教会の存在がメディアに公となった、そしてパソナグループ取締役の竹中平蔵氏が退任。
彼の月額1万円のサロンに参加した事があったが、非常につまらなかった。
それに加え今回の退任である、投稿者は非常に失望している。
余談はさておき、東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件で電通 高橋容疑者が逮捕、そしてカドカワがスポンサー契約を締結後、高橋容疑者の知人が経営する会社にコンサルタント料名目で総額7000万円を支払ったことも判明している。
カドカワはクールジャパン関連で内閣府とも密接な関係、そして子会社であるドワンゴが運営しているニコニコ動画で安倍晋三は「ニコニコ動画は私のホームグラウンド」と語っており、親密な関係性をうかがわせる。
この辺りを週刊文春が探ってくれれば良いスクープになるのではないだろうか?
しかし文春はニコニコチャンネルを持っており、恐らく忖度してできないだろう。(週刊新潮辺りが行ってくれる事を願う)
そして最近話題になっている東谷氏もいい例だ、死なばもろともの精神で芸能界を暴露している。
大半の人間は余裕のある時は何も考えないが、窮地に立たされた途端思いもよらない行動に出ることがある、その習性を利用して少ない人数かつ短期間で爆発的な影響を与える事ができると考えている。
一方、成田氏が提案する考えでは、時間とリソースが大量に必要になる。
末期癌の病人に健康になるための食生活を説いてもすでに手遅れ、
モルヒネの様な劇薬が日本には必要であり、
1万人の若者を集めるとか宇宙、海底、メタバースに移住するとか、そんな悠長な事を言っていると失われた40年が現実のものとなるだろう。
今回の事件で適切な標的を破壊すれば、一人で千人分、万人分以上の影響および波及効果を及ぼす事ができる。ということを山上徹也が証明した。(彼の行った事を肯定している訳ではなく、事実として)読者の皆様に勘違いしないでいただきたい点がある、投稿者は暴力革命に否定的であり、現状のありとあらゆる手段を尽くしてそれでも尚、解決しない場合の「最終手段」として使うべきだと考えている。

〇□主義と□〇主義

人類を突き動かすのは主義(ism)である。経済と言えば「資本主義」、政治と言えば「民主主義」。嵐の前の静けさ化と思うほどかつてない安全と豊かさの泡に包まれた欧米や日本にここ半世紀ほどの間に生まれた者によって、子供の頃から何千回と聞かされて、もはや犬も食わない合言葉だろう。二つを抱き合わせて民主資本主義(democratic Capitalism)や市場民主主義(market democracy)と呼ぶことも多い。
だが、ちょっと考えるとこの提携は奇妙である。

資本主義は強者が閉じていく仕組み、民主主義は弱者に開かれていく仕組みだからだ。
ざっくりと言って、資本主義経済では少数の賢い強者が作り出した事業がマスから資源を吸い上げる。事業やそこから生まれた利益を私的所有権で囲い込み、資本市場の福利の力を効かせて貧者を置いてけぼりにする。
戦争や疫病、革命がなければ、富めるものがますます富む。

民主主義(democracy)の語源はギリシア語のdēmokratíaで「民衆」や「人民」などを意味するdēmosと「権力」や「支配」などを意味するKratosを組み合わせたものだという。「人民権力」「民衆支配」といった意味になる。

暴れ馬・資本主義をなだめる民主主義という手綱
その躁鬱的拮抗が普通選挙普及以後のここ数十年の民主社会の模式図だった。
資本主義はパイの成長を担当し、民主主義は作られたパイの分配を担当しているとナイーブに整理してもいい。単純すぎる整理には単純すぎるがゆえのメリットがある。

しかし、躁鬱のバランスが崩れてただの躁になりかけている。
資本主義が加速する一方、民主主義が重症に見えるからだ。
今世紀の政治は、勃興するインターネットやSNSを通じた草の根グローバル民主主義を夢見ながらはじまった。日本でも2000年代にはインターネットを通じた多人数双方向コミュニケーションが直接民主主義の究極系を実現するといった機能に溢れた展望がよく語られた。
だが、現実は残酷だった。

ネットを通じた民衆動員で夢を実現するはずだった中東民主化運動「アラブの春」は一瞬だけ火花を散らして挫折し、逆流した。
むしろネットが拡散するフェイクニュースや陰謀論やヘイトスピーチが選挙を侵食し、北南米や欧州でポピュリスト政治家が増殖したと広く信じられている。
民主主義の敗北に次ぐ敗北。21世紀の21年間が与える印象だ。

民主制が政治の世界標準規格となったのはここ200年程、若くて挑発的な現象であり、
若く初々しい実験だったはずの近代民主主義がしかし、老いた。
老いと未熟さのマリアージュが今日の民主主義の味わいであり、中年の危機である。
いくら理念が普遍的だとはいえ、今日私達が民主主義と呼ぶものの運用は、数百年前の人々が構想した仕様に基づいている。
中世の生活と技術の環境に合わせて作られたものだ。

当時のほとんどの人は生まれた土地で育ち、ただ生存するために驚くほど働きづめで、若くして死んだ。情報やコミュニケーションも遅く、内輪で、雲を掴むようだった。
情報の伝達はうわさが中心、メディアと言えるものは立て看板やぜいたく品として新聞や雑誌くらい、ニュースは数か月遅れで届いた。
人も情報も流れない世界で民主主義は作られた。
しかし、150~50年程前、ラジオやテレビなどのマスメディアが現れた。
メディアはすぐに政治を侵食した。
たとえばナチス・ドイツもメディア戦略で成り上がった存在だ。
メディアと民主主義の科学反応はメディアそのものと同じくらい古く、百年前から様々な形で変奏されている。

情報通信環境が激変したのにもかかわらず、選挙の設計と運用がほとんど変化できていない事だ。
民主主義が意識を失っている間に、手綱を失った資本主義は加速している

22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる


民主主義は「劣化」しているのではなく、「進化」していない。
資本主義が進化し、加速しているにも関わらず、民主主義は数百年も前の構想を未だ使用している。
ではいっそう、民主主義も資本主義も専制主義も全て破壊して、~~主義の概念そのものを捨て去る。
一旦リセットして画一的な政策では無く、その地域に応じた政策をとりおこない、民主制が導入された当時の環境に近づけるのはどうだろうか?(各自治体で法律を作る。アメリカの州政府以上の権限を付与する等)


代案を出すのは誰でも良い、大人でも良いし、子供でもいいし、貧乏人でも良いし、金持ちでも良い。
その案に過半数の民衆が賛成すれば可決、されなければ否決。
人間、新しい物を生み出そう、とか新しいルールを作ろうと考えてしまいがちである。
逆に先祖返りしてしまおう、そしてもう一度、民主主義を進化させてみるというのはどうだろうか?
あーでもないこーでもないと議論している間にも時間が過ぎてしまう。
それであれば、全てぶっ壊して更地にしてもう一度、再建すれば過去にはなかった発見があるかもしれない。


よく皆さんが妄想する、今の頭脳で小学生に戻れたらなぁ~を実際にやってみようではないでしょうか。


かなり省略して抜粋しているので伝わりづらい部分があるかもしれない、
圧倒的知識量、引用数、そして文章の展開スピードの速さ
今まで読んだ中でもトップクラスにまとめづらく、投稿者の力不足を痛感させられた。さすが成田氏。
政治に興味がある方、無い方でも一度は読んでいただきたい一品です。

最後に投稿者が一番気に入っているフレーズがある。
老いと未熟さのマリアージュが今日の民主主義の味わいであり、中年の危機である。
この文学的クサさがこの著書の醍醐味なのかもしれない。


それではまたお会いしましょう

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